悩んだらGOの罠

tane

こんばんは。みちこです。



結構パワー注いで準備したイベントに

高熱を出して当日欠席したって出来事について

原因が分かったので掘り下げてみました。



早速どうぞ!





目次

現象化するのは自分の中に種がある

自分の身に降り注ぐ出来事は全て、

原因が自分にあると思っているんだけど、



だとしたらじゃぁ、


どうして大切にしていたイベントの当日に高熱を出すのか?





このまま私の中の根本原因を解決しなければ、

また、

何か企画をした時に台無しにしてしまうんじゃないのか。
(当日のメンバーは最高の人しかいなくて大成功でした)



って軽くトラウマの如く怖くなっていたんだよね。






世の中で起きるすべてが

「最高最善」でしかなくて、

「タイミングは全て完璧」なはずなのに、




そこに意味が見いだせなかったり、

原因が掴めなかったらって思うと、




ちょっと恐怖。







だからこそ、


SNSを断って目の前にある生活で五感を使って、


自分や家族の欲求を満たして、


ただただ心地良い時間を過ごした。






ふと見えてきた原因




ある時、全然眠れなくて、

気付いた。




あ、やれることまたやってないかも。

あの時の原因、見付かってなかったな。







って少し思考を巡らせてみる。

すると聞こえてくる、聞こえてくる。






「私は【やるかやらないかで悩むと必ずGO】を出してきた」

「でも動き過ぎて体を壊した」

「おかげで大切なイベントに出られなかった」








それって、いつから?

悩んだらGOっていつからそうだった?








幼少期に作った課題の種

私は5歳の時に母親を亡くした。




その日は、

晴れた日中帯だった。








父親がまた、病院から呼び出されて、

「病院に行ってくる」と支度を始めた。






姉も兄もいつも通り、


居間でテレビゲームをしている。





私はいつも通りそれを眺めているだけ。







その日は何故か、





父親が私に聞いてきた。








「みちこ、行くか?」











めちゃめちゃ悩んだ。



一瞬だったかも。





でもすごく忘れられない瞬間だった。









私は、姉と兄が「行かない!」と即答してゲームをしてるのを見た。






私は、その時、

本当は「行きたい気がする」と思っていたんだ。








だけど、



姉と兄が行かないのなら、




私もいっか。





そんな感じで「行かない」選択をしたんだよね。









そうしたらさ、



なんか数時間してから、

沢山の車や人が家に来て、

冷たくなった母親が、

帰ってきたんだよ。










そう、正確には分からない。

その日亡くなったのか、

本当はその前日に亡くなっていたのか、




それすらももう分からないんだけど、






私の中でその出来事は、






「ちょっと気になったけど、周りと意見を合わせてGOを出さなかったから、

何か重要な場面に居られなかったんだ」






っていう答えになったの。







その日行っていれば、

死に目に会えたかもしれない。


「あの日、行っておけば良かった」




そんな後悔をずっと感じなくて済んだと思う。











それ以来、いつでもGOが出せたわけじゃない。




友達に体操教室に誘われて、気になったけど

「ピアノを続けるか体操するかどちらかにしろ」と言われて

新たなチャレンジにGOしなかった。



小学5年生のミニバスを見て、

本当はやってみたかったけどやらなかった。




そんな感じで「やらない後悔」を延々と繰り返した幼少期だったんだよね。





だから、


大人になり、それらの経験を学びとして、

悩んだ時は必ずGOを出してきた。












それが今回の







興味あることを全て体験しつくすという
(なんでも体験したい人だから)




体力も時間も限界を迎えることをして




体を壊す。








っていう結果に繋がったんだな。

ということが分かったの。











まずは原因を知るだけで良い

じゃぁ今後どうするの?


って対策も考えたくなるけどさ、



もうこの振り返りしただけで結構しんどいwww







そして、ひとまず、

自分の中の課題の種を見付けたら、



グーーーーーーっと味わうだけで良いと思うんだ。





その時の感情、

悲しい気持ち、

後悔する気持ち、



本当はどうして欲しかった?


父親に、
無理矢理にでも連れて行って欲しかった?






無理だよね。。。







私だってその時の父親の立場だったら、

辛くて苦しい母親の死に様を、

自分の意見で娘に見させて良いのか悩むもん。





それでも立ち合わせてあげたい!
と思える人もいるかもしれないけど、






どちらの選択だって難しいことは今ならわかる。






でもやっぱ、悲しかった。って言う、
幼少期の私の感情をとにかく感じきってあげる。







これに尽きるんだろうな。

と泣きながらこの記事をしたためる。







結果は自ずと見えてくる

大事なイベント当日に高熱を出した原因となった課題の種は分かった。
(気がする)




分かっただけで、多分大丈夫。






ぐっと感情を味わいきれば、




その課題の種の存在に気付いたから

自然と解消されているだろう。











そんな、久しぶりにブログを書きながら夜更かししているいま、

時計を見れば1時14分。


私の誕生日だね。


生まれ直すよb








よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!

この記事を書いた人

コメント

コメントする

目次